目久美『目組神社』の足尾さん
米子市のサイノカミ

鳥取県西部の民俗と石造物

米子市目久美町の目組神社ではその昔サイノカミの行事が行われていました。
おそらくですが今はやっておらず、対象の依り代も不明です。
病気平癒のご神徳があるとされる「足尾さん」との関わりも指摘されますが、決定打となる情報がありませんので以下主に考察となります。

米子市 目久美 目組神社
2022/06/04
目印
目組神社(目久美神社)
対象

不明

参考

塞神考 附18
石に刻まれた祈り2 No.9
因伯のみやしろ/新修鳥取県神社誌(2012)
鳥取県神社誌(1935)
鳥取県神社庁HP

目組神社について

ご祭神は素盞嗚尊、稲背脛命久恵比古命、菅原道真公。
ただ昭和10年版の鳥取県神社誌(1935)には稲背脛命の名前がありません。
パブリックコンテンツとして公開されていますので以下引用させていただきます。

村社 目組神社

鳥取県神社誌、目久美神社 米子市大字美吉字向山鎮座

祭神
素盞鳴尊󠄁、道眞、久延毘古命

由緒
創立年月不詳、往古より妙剱大明神と稱へ崇敬せしを、明治元年神社改正の際目組神社と改稱せらる、合祭 天滿宮は攝社なりしを此の時合祀せらる 昭和六年四月四日神饌幣帛料供進神社に指定せらる。

鳥取県神社誌、目久美神社 祭例祭日
十月十六日

建築物
本殿、拜殿、透塀、中門

境内坪数
二百八十七坪

氏子戶数
五十八戶
鳥取県神職会 編『鳥取県神社誌』昭和10
国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/1050476/1/215
(参照 2023-01-05)

足尾さんについて

所長 多分に推測を含んだお話をいたします。
「塞神考」の著者である森氏によると草鞋、草履を供える風習があったそうです。
おそらく境内にあるいずれかの樹木を対象としてサイノカミの行事が行われていたのでしょう。
そして、

別名足尾さん(配祀神 稲背脛命 久恵比古命)と称し病気平癒の神として崇敬される。
鳥取県神社庁HP

このように、現在二柱の配祀神が別名足尾さんと呼ばれ病気平癒のご神徳があるとされています。

稲背脛命とは、出雲国造の祖神である天穂日命の息子で、出雲大社祭祀の合祀神の一柱です。
日本の創世神話に登場し出雲国風土記にも記されています。
稲背脛命は国譲りの神勅を大国主命に伝えた際に大国主命の息子である事代主命を呼び還し、国譲りについての諾否を問いました。
このことから旅や知らせを司るとされることもあります。
また「天花治愈之神」として知られており、伊奈西波岐神社の小石子を身につけることで疾病が治癒するとされています。

次に久延毘古命とは、古事記に登場する田や山を司る博識の神で案山子を神格化した知恵の神として祀られています。
「杖彦」が転じたものとの考えもあり、イザナギが黄泉から帰ってきた後の禊で杖を投げ出した時に生まれた船戸神(ふなとのかみ、岐神、道祖神)との関連を指摘されます。

以上のように、二柱共に道祖神的な側面を持っており、特に稲背脛命には病気平癒のご神徳がありますので足尾さんとして崇敬され、一見このことがサイノカミの行事につながっているように思えます。
しかし上述のとおり稲背脛命の名前が見られるのは平成24年の新修鳥取県神社誌からで、昭和10年版の鳥取県神社誌にはありません。
加えて〔久延毘古命=道祖神〕説が昔から一般的に受け入れられていた考えであるかどうかがそもそも疑わしい。
つまり草鞋、草履を供えるサイノカミの行事はご祭神とは関係なく行われていた可能性があるのです。
元々、
〔足尾山 ⇨ 足尾さん ⇨ 足の病気平癒〕
という連想があって民間信仰の行事が行われていたところに、これまでお祀りしてきたご祭神ではカバー出来ない足の病気平癒という具体的なご神徳が欲しくて、昭和から平成にかけてのどこかで稲背脛命を勧請してきたのではないか、というのが私の…

ぽんきちくん 適当なこといわないでもらえませんか?

ーおしまいー

表記ゆれ

サイノカミ、サイノ神、サイの神、才の神、才ノ神、塞神、塞の神、塞ノ神、幸神、幸の神、幸ノ神、妻神、妻の神、妻ノ神