大山 金門狭の賽の河原

鳥取県西部の民俗と石造物
コラム/境の神について
最終更新:2024-9-30

金門狭堰堤の続きです。
前回、金門狭堰堤及び2号堰堤の間200㍍にわたっての歩行には細心の注意が必要だと述べました。
何故ならここは、誰が積んだともしれない石塔(積み石)が所狭しと並んでいるほかでもない霊場だからです。
賽の河原といいます。
冗談でも蹴倒したりなどしないよう、マナーを守って国立公園の自然を満喫しましょう。
それではまず引用から。

金門狭堰堤上流にある賽の河原 賽の河原とは、小児が死んでから赴き、苦を受けるところです。
冥途の三途の河原で、小児の霊が石を拾って、父母供養のため塔をつくろうとすると大鬼が来て崩す。
小児の霊は泣きながら、また塔をつくるが、また崩される。
これを繰り返すうちに地蔵菩薩が現れて救う、と言われています。
河原には近くはもちろん遠方からも子供を亡くした親が、人知れずここに来て、わが子をしのびながら、一つ一つ河原の石を積み重ねてつくった石の塔が多くあり、また両岸には地蔵菩薩が安置されています。
現地案内板より

ルートはこのような感じ。

大神山神社奥宮参道の途中で金門へ向かう脇道がありますので、立札に従って進みましょう。
途中からだんだん心細くなっていきますが、それでも道はついていますのでどんどん進んで行くと沢という名の荒れ地に出ます。
ここが目的地です。

ほんとうに数えきれないほどの積み石が並んでいます。
・大山寺の近くに
・たくさんの積み石があり
・賽の河原と呼ばれている

解っていることは以上であり、いつ頃からどのような人たちが始めたのかは不明。
大山寺と言えば地蔵信仰のメッカ(?)ですので、その教えの影響を受け、地蔵尊によって救済されるべき小児の為の霊場ができたと考えるのは一見自然であるように思えます。
しかし…

ここから考察

しかし、この場所に賽の河原が出来たのははたして大山寺の開基以降だったのでしょうか?

そもそも賽の河原は日本中あちこちにあります。
近いところでは広島の帝釈峡や島根の加賀などです。
これ等のうちいくつかは女性器を連想させる天然の地形を伴っており、ここの場合ですとズバリ金門がそれにあたります。
金門はたまたま仏教の盛んな場所にありますので、いかにも地蔵信仰と関連があるように思えますが、必ずしもそうとは限りません。
たとえば加賀であれば加賀神社が鎮座していたとされるれっきとした神域です。
日本には古来より祖霊を信仰するという風習がありました。
いつの頃からか仏教に習合された祖霊信仰が、形を変えて現在我々の前にあるのが盆や彼岸をはじめとした仏教的年中行事の数々です。
同じように賽の河原もずっと昔からあって、仏教に習合された結果原型をとどめなくなってしまった風習のひとつなのではないでしょうか。
だって仏教があろうがなかろうが人は死にますし、これから死にゆく人、残された人それぞれが心の拠り所を求めたくなる気持ちは時代を選ばないと思いますから。
そして何より、亡骸をどのように処理するのかという現実的かつ差し迫った問題もあった事でしょう。
我々が産まれる前に居た場所があの世であるならば、死後に赴く場所も胎内のような場所なのではないか?
こんな感じのプリミティブな死生観がそれこそ仏教とは関係なく、もともとあったのだと私は考えています。
だからこそ、この女性器を連想させる独特の地形がふさわしかったのでしょうし、加えて荒れ地や海蝕洞など人の目につきにくく、絶えず風雨や波に晒され浸食を受け続けているという地理条件も、墓地としての機能があったと考えると納得です。

ところが、亡骸の行きつく場所であり死者の世界につながっている場所が「賽の河原」と呼ばれているのだとすると少し違和感があります。
何故なら川に死体を流す、河原に死体を埋めるといった行為は仮にはるか昔であったとしても、日本のコモンセンスからはかけ離れているように思えるからです。
そこでもう一歩踏み込んで考えたい。
仏教に取り込まれたとき、何か別の名前が変じて賽の河原と呼ばれるようになったのではないか?と。
それがサイノタワ(賽ノ峠)です。
近隣では淀江町の壺瓶山や県境の飯山にその痕跡が残っています。
壺瓶っていかにも埋葬に関係してそうな名前ですよね。
一つの村に一つぐらいの数がなければ追いつかなかったであろう祭祀の場、すなわちサイノタワは次第に廃れ、近年「火葬 ⇨ 清潔な墓地への埋葬」という形がそれに取って代わりました。
そしてその遥か昔、一部の霊場は「サイノタワ ⇨ 賽の河原」と名を変えて仏教的エピソードの中に取り込まれるなどしていました。
考えてもみてください。
村の近くにある山の中腹に死体がゴロゴロころがっている情景を。
電気も上下水道も抗生物質もない時代。
公衆衛生上のリスクがどうのこうの以前に物凄く怖かった筈です。
だから線を引く。
こちらは常世、そちらは幽世と。
そのための結界装置として道祖神やサイノカミ、辻札、道切り、すなわち境の神がありました。
それこそ必死で祈った事でしょう。
入って来るな、と。
戦後あたりから境の神が急速に廃れたのには諸説ありますが、それは死体を目にする機会がなくなったからだと思います。
死がリアルに感じられなくなったことで表面化する社会問題ってありそうですよね。

以上長々としゃべって来ましたが、すべて私の想像です。
あしからず。
今あちこちに散らばっている情報をこんなかんじで組み合わせたら辻褄が合うんじゃないかなー…ぐらいの薄っい根拠しかありません。
敢えて科学的な方法で真相に近づきたいのであれば、サイノタワ及び賽の河原の発掘が有効だと考えられます。
賭けてもよろしいが大量の人骨が出土するでしょう。
当然そんな罰当たりな方法がとりたいわけでもありませんし、急を要するテーマでもありません。
時々こうやって過去の風習と、そして死というものについて思いを馳せるぐらいでちょうど良いんじゃないでしょうかねぇ。
メメントモリ。
カルペディエム。

ーおわりー
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ぽんきちくん

ご来場ありがとうございました。
最後にそこらへんのアレ・・アレ・・などしていただけたりすると、とてもやる気がでます。
どうぞよろしくお願いします!